日々迸る熱いなんちゃら
大好きだからずっと 何にも心配要らないわ
ついに22歳を迎えてしまいました。
特に心境の変化はありません。
悲観することもないし、ただ早く年齢相応の人間に近づきたいと思っている。
そのためにあたしは走り出した。
だから今は心境の変化は特にない。
ただただ、もっと充実した人生を送れるような人間になりたい。
そうだね、あたし、負けたくないの(笑)
いつだったか、やさしい人になりたいと言った。
それが今年の大方の目標かな。
サークルでもたくさんの人に祝ってもらい、まさかの1年生にもプレゼントもらっちゃってなんだか嬉死恥ずか死でしたね。あの子らがうちに入ってくれるといいのにな。
ゼミ室の子達にもささやかなお祝いをしてもらった。
兄や父から祝福のメールをいただいた。
兄からはなんとデジカメまでもらってしまった!!
あたしがSONYを使っていたのがそんなに気に食わなかったのか(^ω^)ww
自社製品のいいやつ送ってきやがったぜww
いや、けどあたし彼の誕生日になんもしたことないのに、一方的にもらってばっかりでほんと申し訳ない(´・ω・`)去年は…DSの脳トレだか買ってもらって一昨年はなんとプレステ2の本体とゆーねww
だがニートのぼくには金銭で返す余裕なんてなく。
恩義で返すしかないのでござる。
あたしは兄というものに昔からコンプレックスを非常に抱いていて、
勉強できる人だったから家では兄ばかり褒められて、祖父母も親戚も、兄をこの上なく可愛がっていた。可愛がるというか期待する。
一方の妹は日頃の素行があまりよろしくなく(笑)親戚の目に留まるような悪さばっかりしていた(とあたしは思ってないのだがw)から常に陰口や中傷の言葉を聞いていた。
そんな可愛がられる兄が羨ましかったから、兄に出来てあたしに出来ないことはない!!の精神でなんでもこなそうとしていたんだww
今思うとほんとほほえまいしい話だけど、当時のあたしは必死だったんだ。
ほんとすげーなと思うのは、あたしローラースケートを4歳で乗りこなそうとしていたんだよねwwまだ普通に歩いていても転ぶような糞餓鬼なのにw
その時光GENJIの時代だったのかな?めっちゃ流行ったじゃん。
やっと自転車も補助輪なしで乗れるようになって、兄のお古の自転車を自慢げに乗り回してた時に、団地の子達と兄がローラースケートしてるのみて『くやしいっ!』って思ったのを覚えている。
それから親に駄々こねてローラースケート買ってもらったんだよな~
なんて懐かしい(*´ω`*)
あ、なんかめっちゃ話逸れた(笑)
まぁそんな感じで、「兄とはライバル」的に育ってしまいそれがぼくが15の頃まで続く。そもそも性格が真逆なんだぼくたちw高校受験で兄の努力とその人間性を垣間見て、やっとそれが打ち解けてきたと思ったら肝心の兄はもう新潟には居なくて。
だから彼を認められるようになったのはつい最近で、まともに話せるようになったのはあたしが大学に入ってからだ。それまではお世辞にも『仲がいい』なんて言えなかったからね。
その兄も大学入って丸くなった(母曰く)からあたしにもやさしくしてくれるようになったってあたりなんだろうか。
なんにしても最近の兄は好きだ。この関係も家の雰囲気も。
彼が帰ってきた時には兄妹らしくしてみよう(笑)
世界にたったひとりしかいない、ぼくの兄だもんね。
ついに22歳を迎えてしまいました。
特に心境の変化はありません。
悲観することもないし、ただ早く年齢相応の人間に近づきたいと思っている。
そのためにあたしは走り出した。
だから今は心境の変化は特にない。
ただただ、もっと充実した人生を送れるような人間になりたい。
そうだね、あたし、負けたくないの(笑)
いつだったか、やさしい人になりたいと言った。
それが今年の大方の目標かな。
サークルでもたくさんの人に祝ってもらい、まさかの1年生にもプレゼントもらっちゃってなんだか嬉死恥ずか死でしたね。あの子らがうちに入ってくれるといいのにな。
ゼミ室の子達にもささやかなお祝いをしてもらった。
兄や父から祝福のメールをいただいた。
兄からはなんとデジカメまでもらってしまった!!
あたしがSONYを使っていたのがそんなに気に食わなかったのか(^ω^)ww
自社製品のいいやつ送ってきやがったぜww
いや、けどあたし彼の誕生日になんもしたことないのに、一方的にもらってばっかりでほんと申し訳ない(´・ω・`)去年は…DSの脳トレだか買ってもらって一昨年はなんとプレステ2の本体とゆーねww
だがニートのぼくには金銭で返す余裕なんてなく。
恩義で返すしかないのでござる。
あたしは兄というものに昔からコンプレックスを非常に抱いていて、
勉強できる人だったから家では兄ばかり褒められて、祖父母も親戚も、兄をこの上なく可愛がっていた。可愛がるというか期待する。
一方の妹は日頃の素行があまりよろしくなく(笑)親戚の目に留まるような悪さばっかりしていた(とあたしは思ってないのだがw)から常に陰口や中傷の言葉を聞いていた。
そんな可愛がられる兄が羨ましかったから、兄に出来てあたしに出来ないことはない!!の精神でなんでもこなそうとしていたんだww
今思うとほんとほほえまいしい話だけど、当時のあたしは必死だったんだ。
ほんとすげーなと思うのは、あたしローラースケートを4歳で乗りこなそうとしていたんだよねwwまだ普通に歩いていても転ぶような糞餓鬼なのにw
その時光GENJIの時代だったのかな?めっちゃ流行ったじゃん。
やっと自転車も補助輪なしで乗れるようになって、兄のお古の自転車を自慢げに乗り回してた時に、団地の子達と兄がローラースケートしてるのみて『くやしいっ!』って思ったのを覚えている。
それから親に駄々こねてローラースケート買ってもらったんだよな~
なんて懐かしい(*´ω`*)
あ、なんかめっちゃ話逸れた(笑)
まぁそんな感じで、「兄とはライバル」的に育ってしまいそれがぼくが15の頃まで続く。そもそも性格が真逆なんだぼくたちw高校受験で兄の努力とその人間性を垣間見て、やっとそれが打ち解けてきたと思ったら肝心の兄はもう新潟には居なくて。
だから彼を認められるようになったのはつい最近で、まともに話せるようになったのはあたしが大学に入ってからだ。それまではお世辞にも『仲がいい』なんて言えなかったからね。
その兄も大学入って丸くなった(母曰く)からあたしにもやさしくしてくれるようになったってあたりなんだろうか。
なんにしても最近の兄は好きだ。この関係も家の雰囲気も。
彼が帰ってきた時には兄妹らしくしてみよう(笑)
世界にたったひとりしかいない、ぼくの兄だもんね。
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